マリーアントワネット
こんなに軽くていいの?っていうくらい軽ーい映画でした。でもこの軽ーい感じは監督のソフィア・コッポラの好みなんでしょうね。
群集の中での孤独というテーマは「ロスト・イン・トランスレーション」と共通です。そのヴェルサイユバージョンとでもいいましょうか。あの重量感の無さなら別にアントワネットじゃなくてもパリの普通の女の子でも良かったんじゃないかとも思う。あ、逆か。アントワネットも普通の女の子だよって描きたかったのか。
ちょっとキルスティン・ダンストが苦しいかも。まず輿入れ当時14才の少女に見えない。その後も亡命の馬車に乗り込むまで全然年齢が変わらなく見える。あと品が足りない。お馬鹿でも育ちは良い・世間知らずなお嬢さんって感じがしなくて。
それから、ヴェルサイユで繰り広げられる会話が英語なのにもの凄い違和感を感じました。ベルばらは日本語なのに平気なんだから勝手な事言ってるけど、あの建物も広間も庭も噴水も王妃のベッドも、フランスの空気の中で実物を見ちゃったからそう思うのかもしれないです。で時々メルシーとかボンジューとかフランス語が混ざるの。SAYURIが舞台が日本なのに全編英語でときどき変な日本語が挟まるのと同じ感じ。硫黄島を見習うべきですよ。って硫黄島見てないけど。
でもお衣装とか靴とかはとっても可愛かったし、あの甘くて、切なくて、楽しくて、もしかしたら虚しいかもしれない複雑で繊細な空気感は女の子な監督だからこそ作れたんだと思います。私はそれにもう少し深みを足したほうが好みだけどね。
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